初めまして

初めましてブログ担当の中嶋と申します。

定期的に武将について書いていきたいと思うのでよろしくお願いします。

今回は初投稿なので建設関係に関わる人物について紹介したいと思います。


山本勘助(1493?~1561年)

諱は晴幸。出自はよく分かっていないが、駿河国の出身であったといわれている。

初め駿河国を支配する今川義元に仕官を申し出るが、容姿の醜さ(隻眼で足が不自由であった)を嫌った義元に拒否され、その後甲斐国の武田晴信(信玄)に仕えた。

築城名人で知られ、海津城(現長野県)などを手掛けた。同じく武田家臣であった馬場信房も築城上手であったが、その技術はこの勘助に学んだのだという。

1561年第四次川中島の戦いでは敵を挟み撃ちにする「啄木鳥戦法」を提案するが、事前に敵大将の上杉政虎(謙信)に見破られる。この失策に責任を感じた勘助は援軍が到着するまでの時間を稼ぐために敵陣に突撃して壮絶な最期を遂げた。 享年は69歳だといわれている。

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